マナビラボ

第23回

2016.10.26

選挙権があっても飲酒は
禁じられているのはなぜ?

思想家流に今の問題を考える倫理の授業

群馬県立渋川女子高等学校は創立96周年を迎えた伝統ある女子進学校である。山々に囲まれた緑豊かな環境とあいまって、学校全体が落ちつきと快活さが同居した独特の雰囲気で満たされている。そんな静かな校内に時折響く孔雀の鳴き声に来訪者は驚かされる。同校の中庭の代々飼育されてきたという孔雀は、渋女のシンボルとして、生徒たちだけではなく地元の方々にも愛されているという。

 

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今回お邪魔したのは、地歴公民科を担当する青木瑞代先生の倫理の授業。渋川女子高校では三年次に選択した生徒が倫理を履修する。そのなかでセンター試験等の大学入試で倫理を利用する生徒は約4分の1。そのため、一方で入試を念頭において進度をキープしつつも、他方で入試で倫理を利用しない生徒たちにも魅力的な内容となるような工夫が施されている。

本時の課題は、18世紀後半から19世紀にかけてイギリスを中心に展開した功利主義の考え方を学ぶことである。功利主義の創始者であるジェレミ・ベンサムと彼の議論を発展的に継承したジョン・スチュアート・ミル、幸福な社会を実現するために彼らが打ち立てた理論とはどのようなものだったのか。本時の課題を簡単に共有したあと、彼らが生きた時代の歴史的背景を確認することから青木先生の授業は始まった。青木先生は、倫理の授業をデザインする際、基本的に冒頭で思想家の生きた歴史的背景を確認するようにしているという。こうした設定にも、青木先生の工夫とこだわりを垣間見ることができる。

 

 

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先にふれたように、渋川女子高校では三年生で履修を選択した生徒のみが倫理の授業を受ける。生徒の中には、入試で倫理を利用する者もそうでない者もいる。そこで青木先生は、世界史、日本史の分野ですでに学んだ事柄を再確認する時間を設けると同時に、倫理を学ぶための土台として歴史的背景を位置づけているという。こうした工夫の根底には、大学入試を控えた生徒たちの関心に寄り添いつつ、倫理が単なる「暗記科目」になってしまうことを避けたいという青木先生の思いがある。

倫理の授業は、ともすれば抽象化された概念を単なる知識として受け取るだけの授業になりかねない。しかし、本来そうした概念は、思想家自身がそのときどきの社会が抱えている根本的な問題と向き合うことのなかで生み出されたものである。歴史的背景の確認を授業の導入とする青木先生のねらいは、思想家がどのような時代を生き、どのような問題と向き合ったのかに思いをはせることで、抽象的な概念へと練り上げられた哲学や思想を具体的なレベルで捉え直す糸口を示すことにある。

 

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生徒たちは、2年生の「現代社会」で学習したアダム・スミスとのつながりを確認しつつ、世界史の知識を振り返りながら、産業革命をとげた当時のイギリスにおいてなぜ新たな道徳理論の構想が求められたのかを考える。こうした授業の導入を通じて、個人の自由な利益の追求と社会全体の利益とを調和的に増進するという現実的な問題と向き合う思想家としてのベンサムが現れてくる。

実はベンサムのこうした思想は選挙制度の改革に重要な理論的基盤となった。青木先生は、今年日本において初めて実施された18歳選挙にふれ、ベンサムの思想が私たちの政治や社会のあり方に影響を与えていることに注意を促した。「選挙権を獲得した今の気持ちはどう」。青木先生の問いかけに生徒は「うれしいです」と答えた。「じゃあそのうれしい気持ち、つまり快を基準にして、みなさんが最近の出来事で感じた快を点数化してみよう」。本時の最初の課題は、ベンサムが考案した「快楽計算」の手法を理解することだ。

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生徒たちは4人ほどでグループになって、最近あったうれしい出来事を出し合う。こうしたグループワークでは小さなホワイトボードが役に立つ。青木先生がこのホワイトボードを導入したのは一昨年ほど前からだというが、生徒たちはすっかり慣れた様子でそれを活用していた。5分ほどするとそれぞれが経験した快がその強さにしたがって並べられたボードが完成。次に、そうして並べられた快の経験にどのような特徴があるのかについてグループで話しあう。

話し合いは活発だが、決して騒々しくはならない。青木先生の授業は、口頭での発問、板書を使った説明、個人での作業、グループでの作業が絶妙なバランスとテンポで構成されている。こうした構成によって思考と活動的な学習が途切れることなく循環し、その生徒たちの学びが深まっていくのだろう。どの場面においても、生徒たちの様子はつねに朗らかで、課題に向かう真摯な姿が印象的だ。

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ベンサムの「快楽計算」の手法と「最大多数の最大幸福」の原理を学んだところで、第二の課題へと授業は展開する。第二の課題は、「同じ18歳という年齢制限について、選挙権は獲得したけれど飲酒できないのはなぜか」という問いにベンサム流に答えることだ。ベンサムならどう答えるかグループで話しあう。生徒たちは、自分たちの言葉でベンサム流の応答を試みる。抽象的な概念用語を使わなくとも、生徒たちは見事にポイントを押さえた説明を完成させていく。青木先生は、倫理の授業では基本的にその日学んだ哲学者の見方から、生徒たちの身近な出来事や経験を説明するワークを設けるようにしているという。この日は、本時につづく「プラグマディズム」を扱った授業も拝見したが、そこでも同様のワークが設けられ。抽象的でとっつきにくい思想・哲学を、具体的な位相で自分たちの言葉で理解することにつながっていた。

ベンサムの理論を理解したところで、本時の最後の課題へと授業は展開する。本時の第三の課題は、ベンサムの理論を発展的に継承したJ.S.ミルの質的功利主義を理解することだ。第一の課題で数量化した快の経験をもう一度振り返り、量的な観点からではなく、質的な観点から快の度数を測り直してみる。生徒たちは、快楽の質的な側面への着目が、彼独自の自由論へと結実していくという流れを追っていく。この第三の課題については個々人で問いについて考える時間がとられたが、それまでのグループワークで積み上げられた知識と理解を手がかりとして、それぞれがミルの功利主義のポイントをしっかりと掴んでいた。

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倫理と歴史科目とのつながり、抽象的な概念と具体的な経験との往還、思考の時間と活動的な学習の時間とのバランス。そのすべての要素を絶妙に折り合わせながら生徒がのびのびと学ぶことのできる授業を、青木先生はどのようにデザインしているのだろうか。そのポイントをうかがった。

 

>>後編につづく

 

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群馬県立渋川女子高等学校は大正9年に渋川町立実科高等女学校を前身とし、今年創立96周年をむかえる伝統ある女子進学校である。落ち着いた学習環境に恵まれた同校では、真摯かつ伸びやかな学びの関係性のもとで、確かな学力が育まれている。他方で、アクティブ・ラーニングの視点に立った学習過程の再構成や、ICTを取り入れた授業実践など、挑戦的かつ先駆的な授業改善を進めている。

  • 取材

    田中 智輝

  • 撮影

    木村 充

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