マナビラボ

第15回 15歳の未来予想図

2016.08.17

「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」

重松清 x 中原淳 x 山辺恵理子(Part 3)

ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」についてざっくばらんに語り合う、「15歳の未来予想図」。

今回のゲストは、作家の重松清先生です!!

 

いまは「不寛容の時代」と語る、重松先生。
Part 3の今回は、ひとより遅いこと、ひとと違うことを「迷惑」と呼んでいいのか、という問題提起をしてくださいました。
そして、いじめが始まってしまってから「徹底的に攻められる」ことをスマホ・SNS時代の特徴と指摘して、「リセットボタン」をたくさん用意することの重要性を語ってくれました。

 

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「集団生活っていうものの第一歩は『迷惑を掛けない』っていうことなんだけど(…)でもやっぱり一緒にやっていれば早いやつもいれば遅いやつもいるし、大きな子もいればちっちゃな子もいるし、強い子も弱い子もいて、『みんなより遅れちゃうということ、それが迷惑なのか?』と思うわけ。『本当の迷惑ってもっと違うでしょう』っていう。(…)

軍隊みたいにみんなそろって行進するときに遅れたやつがいて、おまけに『連帯責任』なんて言われちゃうと、『迷惑』かもしれない。
でも、『それを迷惑って言っちゃ駄目だよ、学校が』っていう気はするんだよね。」

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ぜひ、8月は引き続き毎週水曜日更新の「15歳の未来予想図」をお楽しみください!

 

→Part 1: 「『毎日真面目こつこつやってればいいことがあるんだよ』はどこかで言い続けていかないと」

→Part2: 「はみ出すやつが救えないんだったら、ダメじゃん教育って」

Part 3: 「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」

→Part 4: 「まず『ここにいる』っていうことを最大限に肯定したい」

 

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中原: それはもう初めに書かれたときから?

重松: もう、恐らくこれは「転校生の体験」っていうのが大きいと思うんだけど、転校生で一度も新学期、新年度から入ったことがなくて、いつも途中から入るから、もう入った瞬間に学校とか学級の人間関係って、でき上がってるじゃない。
でね、教室に入ってパンと見るよね。今までの例からして、転校生に一番優しいやつってのがいるのね。妙に親切に話し掛けたりするやつって、意外と僕が転校してくる前日まで、結構みんなにハブにされてたりとか。

山辺: そうですね、分かります。

中原: なるほどね。

重松: 例えば、転校した当初は僕も寂しいし、不便だから、そういうふうにやってくるとうれしいから仲良くするじゃない。
でも、だんだん僕の世界も広がってきて、別の友達もできるようになって、「おまえ何であいつと付き合ってるの?」みたいな感じに言われちゃうときあるわけ。そのときに、結構しんどい思いっていうのがね。

山辺: ありますね。

重松: 僕たちの世代って、高度経済成長期の昭和の世代で、なおかつ、まだ単身赴任というのがあまり多くなくて、お父さんが転勤したら一家そろって引っ越すのが当たり前だった時代の転校生って、何か独特の「人間観察術」みたいなものとか、「よそ者感」とか持ってるような気がするんだよね。

中原: そういうものが作品にも結構反映されてるんでしょうかね。

重松: 恐らくあると思う。
だから僕は、「みんな」っていうものが大嫌いで、多分全ての小説で「みんな」と「自分」の関係性を描いている。
つまり「みんな」っていう、「みんなそうだもん」とか、「みんな賛成」とかっていう多数派ね。
多数派対少数派の話がすごく多いっていうのは、やっぱり僕が転校の体験が多いからだと思うんだよね

山辺: もう一つ、いいですか?

中原: どうぞ。

山辺: 『まゆみのマーチ』も、そういう構図かなって思うんですよね。
学校にあまりうまく入り込めない子。歌をうたっちゃう妹の話ですけど、「歌っちゃうんだったらもうマスク付けてなさい」って先生に言われて、マスクを付けてたらそこだけかぶれちゃうんですよね。家に帰るとそこがかぶれてる。家でしばらくしてると治るんだけど。「もう学校行かなくてもいいんじゃないか」とか、いろいろ議論があるんですけど、お母さんは一生懸命、その子がそれでも「学校に行きたい」って言うから、行かせられるまで手伝うんですけど、そのお母さんが先生に言った一言が

「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」

っていう。これはもう本当にそのとおりだし、でも学校って、やっぱり「迷惑を掛けないように」って習うんですよね。

重松: この小説の中では、このせりふをお父さんが言ったらちょっと駄目なんだよ。恐らくお父さんは、「父性」「母性」って無理やり分けるとすれば、やっぱり「迷惑掛けちゃいけないんだ」と言う父性の立場をとるしかなくて、これはやっぱりお母さんが言ってるんだよね。この小説では、「お母さんのエゴイスティックな、でも絶対的な愛情ってすげえじゃん」っていうのを書きたかったの。

だから、恐らく突っ込みどころは満載なわけ。「そりゃ悪いに決まってるじゃん」って。だけど、お母さんが切々と「そげん悪いことですか」って言ったら、俺はこれは書きながらやっぱり「お母ちゃんええな」と思ったもんね。

山辺: しかも、ここで一番迷惑掛けられてるのはお母さんなんですよね。お母さんが毎日毎日ちょっとずつ登校できるように、玄関の前まで付いていったりとか、道のここまで付いていったりっていうのを繰り返してる。そのお母さんが言うからこそ。

中原: なるほど。刺さるね。

山辺: そうなんですよ。

重松: 学校とか集団行動っていうような、集団生活っていうものの第一歩は「迷惑を掛けない」っていうことなんだけど、だから本当に「悪意のある迷惑」って絶対にアウトなんだけど、でもやっぱり一緒にやっていれば早いやつもいれば遅いやつもいるし、大きな子もいればちっちゃな子もいるし、強い子も弱い子もいて、「みんなより遅れちゃうということが、それが迷惑なのか?」と思うわけ。
「本当の迷惑ってもっと違うでしょう」っていう。

だから、学校が教えなきゃいけないことってたくさんあると思うし、大事なことなんだけど、「じゃあ、これは迷惑ですか?」「本当に一人だけ遅れちゃうことは、それは迷惑なのかどうなのか」っていうのは、もう一回問い直さないと。

軍隊みたいにみんなそろって行進するときに遅れたやつがいて、おまけに「連帯責任」なんて言われちゃうと、「迷惑」かもしれない。
でも、「それを迷惑って言っちゃ駄目だよ、学校が」っていう気はするんだよね。

山辺: はい。
あと、さっきの『サマーキャンプへようこそ』を学生に読ませることがあるんです。読みなさいって言うんですけど、それで感想をくれる人がいるんです。すごくいいなと思ったのは、「この主人公みたいな子がクラスにいたら、クラスが面白くなるだろうなと思いました」って書いてくれる子。もうすごいいいと思うんです。先生としても完璧だと思うんです、私は(笑)

でも、迷惑もきっとかけるんですよね、その『サマーキャンプへようこそ』の子も。
だけど、「枠外を越える」からこそ「迷惑」にもなるし「面白く」もなるよっていうふうに捉えれると、なんかすごくいい先生になれるんじゃないかなって思うんですよね。

重松: あのね、「役割」っていろいろあるじゃない。それが違うことが迷惑ではないんだよね。
みんな、陽気なやつもいれば無口なやつもいて、得意なやつもいればそうでなくって。
今は本当に「不寛容な時代」っていうか、本当に寛容性がなくなっちゃっていて、「迷惑」っていうものが過剰に解釈されちゃって、「おまえこれまで迷惑っていうの?!」っていう感じがするんだよね。

学校が社会より厳しかったらつらいよ。
社会のほうが厳しいよ、多分。俺、学校にさ、お父さんお母さんもそうだけど、「おまえも社会に出れば分かるんだ」と、「こんな甘いもんじゃないんだ社会は」って、やっぱり言わせてあげたいし、学校のほうが厳しかったらどうすんのよって。
だから俺、学校の先生って一番楽天家でいてほしいし、楽観主義でいてほしいんだよね。大きな意味での楽観主義っていうか。

中原: この転校なさってた時代、そして高度経済成長を終えて、日本がそうやって不寛容になったっていうふうにおっしゃってましたけれども、重松先生の目から見て、昔の子どもと今の子どもみたいなものって、どんなふうに違ってきてたりしますか?

重松: しんどくなってきたときに、「逃げ場」がなくなったよね。
恐らく例えば、人がけんかをする、いじめを始めるっていう、そこまでは多分、昔も今もあった思うんだけど、そのあと。
例えば昔だったら、夜10時過ぎて友達の家に電話をしたら、お父さんやお母さんが怒ってたよ。
例えば週末の間だけは学校から離れられたり、それから、よく僕らが塾の先生なんかやってる頃に言ってたのが、「学校がしんどかったら塾という別の世界がある」って言って、そこに逃げ込んでる間はもう攻められなかったんだけど、今のネットとか携帯の時代になると、もう土日関係なく、24時間365日で。しかも、昔だったら人のうわさも七十五日だったのが、残るわけじゃない、アーカイブスでずっとね。

中原: 永遠にログが残りますからね。

重松: そう。そうなると、本当に逃げ道なくなると思うんだよ。

中原: ネットでググられたら終わりですもんね。

重松: 終わりだもの。
本当にそこに関しては、最初の出発点の「人間関係にしんどくなる」っていうところまでは意外と変わらないような気もするんですよ。「人が人を嫌いになる」とかっていう根っこは。
ただ、一回嫌いになった後の、あるいは「いじめようぜ」ってなったときの、徹底的にこうなってしまうというのが、すごくつらい。僕たちの時代だったら、いじめをお父さんやお母さんには言わなかった。言えなかった。本人が言わないからお父さんもお母さんも気づかなかった。もしかしたら、もうそれですら牧歌的な話になっちゃって、お父さんやお母さんが自分の子どもの名前で検索したら分かっちゃうわけじゃない。

山辺: そうですね。

重松: それを想像するだけで、子どもはもう絶望するよね。
だから、そういうときの、その出発点で「みんな仲良く」とか「けんかするな」とか「いじめをするな」というはもちろん大事なんだけど、一度その状況になったときに、「本当に徹底的にいってはいけない」と。本当に物理的にもだけど、徹底的にいけないようにするための方法というかね。それこそ、だから今、「忘れられる権利」をどうするかってあるようにね。

中原: そうですね。そういうのも強制的に持たざるを得ないという。

重松: 持たざるを得ないと思うんだ。これは本当に。
だから、なんとなく今「いじめの入り口論」というか、「いじめが起きないようにするにはどうすればいいか」っていうところに、すごく重心が寄ってるんだけど、もちろんそれも大切なんだけど、一度いじめが起きてしまったときに「絶望させないためにはどうすればいいか」っていうのを考え続けるしかないと思うし、それはもう本当に、お父さんやお母さんや学校の一個人の先生の問題を越えて必要だと思うんだよね。

中原: 親の立場でしかもう考えられなくなっちゃってますけど、僕は。
そうなんですよね、うちの子どもによく言ってるのは、追い込まれるとしんどいじゃないですか。だから、「四隅に追い込まれないように、世界をたくさん掛け持ちしておくといいよ」と。やっぱりそう思うんですよね。

重松: そうそう。
いつから学級制度ってできたんだろう。1年1組とか1年2組とか。転校をたくさんやると、「この社会はいつか変わるよ」とわかる。「いつまでも続かないんだ、これ、この人間関係は」っていうのが前提にあるから、ある面で冷めちゃうかもしれないけど楽になったことも確かなんですよ。

中原: リセットが押されたわけですよね。

重松: そうそう。
今、本当に単学級が増えたじゃない。1学年1クラス。そうなると、もうクラス替えというリセットすらもなくいっちゃうじゃない。だからもう学校ぐるみで、なんかいろいろさ。

山辺: そうですね、もう入れ替える(笑)

重松: ちょうど今、明日からプロ野球の交流戦やるみたいに。山村留学とか離島留学って、そういうオーバーなものだけじゃなくて、隣の学校と入れ替えてみるとか、あるいは担任が代わるだけでも、特に小学校なんて担任の先生の存在感が大きいし、フロア(階)を変えるだけで、窓から見える景色が変わるだけで気持ちも変わるかもしんないしさ。

やっとここ20年ぐらいで、例えば給食なんかはそんなふうにしようとかなってるけど、もっともっと「リセット」をする。そのリセットによって、具体的にどれだけの効果が上がりました、いじめの自殺が減りました、っていう効果を現実的に求めるだけじゃなくて、「この世界って変わるよ」と。今君たちはこれしか見えてないけど、「変わるよ」と。「変わることできるからね」っていう。「変わる可能性を信じていいんだよ」っていうのを教えてあげたいなって思うしね。

中原: なるほど。
「変えることができるよ」だし、「押しさえすれば変わる」。「リセットボタンさえあれば変わるよ」ってことですね。

重松: 変わる。
そのリセットボタンって、恐らくここに「リセット」って書いてないんだよね。どっか押したらぽーんって開くときあるんだよ。ドアって、壁って。

中原: なるほど。ファミコンみたいに分かりやすくない。

重松: そうそう。恐らく「リセットボタン」と名前が書いてあるリセットボタンを探してるんだよ。
でも、もしかしたらそのリセットボタンが、落ち込んでうちに帰ったときに食べるお母さんのカレーだっていいわけよ。カレーをガンと食ったら元気になるってあるじゃない。だからリセットボタンって実はたくさんあるんだよっていうのは、本当はリセットのかっこうをしてないけれども、「ここを押したら結構リセットできるもの」って多分あるよっていうのは、やっぱり示し続ける。だからやっぱり、ドアというか壁があったら押してみるに値するよ。やっぱり世の中は。

山辺: 少なくとも、いじめとかがあったときに、「はい、握手して仲直り」はリセットボタンにはならないと思う。

重松: と思うんだよね。

山辺: 何も変えてないのに。

中原: 茶番だよね。

山辺: そうなんですよ。「はい、謝りなさい」じゃ駄目だと思うんですよね。

中原: そうだね。

重松: だから、さっきのマンガとか小説なんかの効能って、「ああ、こんないろんなリセットボタンあるじゃん」っていう、この小説の主人公を見ても言ってもいいし、たくさんいろんなさ。小説って、物語って、絶対に最初の1ページ目とラストシーンでは世界変わってるはずなんだよ。

山辺: そうですね。

重松: 表面的には変わってないように見えても、主人公の心の中で何かが変わってるんだ。それが「物語」だと僕は思うのね。だから、またいつもの毎日が始まりましたっていうラストシーンでも、いつもの毎日なんだけどもちょっと違ってるはずなのよ。

山辺: 見え方が違いますね。

重松: だからね、やっぱり本を読むとか、マンガでも何でもいいんだけど、物語に触れるっていうのが、「変わる」っていう、「いっぱいいろんなことがあるんだよ」っていうのを示す具体例の宝庫だと思うんだよね。

 

(Part 4 に続く)
  • 取材

    中原 淳

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