マナビラボ

第16回

2016.06.29

生徒が役者/主体(actor)になると学びがアクティブになる

都立日野台高等学校・佐々木宏先生の古典の授業【後編】

 

演劇の要素を取り入れることによって、新たな解釈に開かれた文学作品の学習への取り組みを進めている東京都立日野台高校の佐々木宏先生。佐々木先生が考えるアクティブ・ラーニングについてうかがった。

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−−− アクティブ・ラーニングに取り組むようになったきっかけはなんだったのでしょうか。

佐々木先生:教職に就く以前、予備校で講師をしていた時期がありましたので、教職についた当初は、いわゆる「トーク・アンド・チョーク」のような形で、分かりやすさを重視して、ときに笑いをとったりして生徒を飽きさせないような、いわゆる予備校的な授業をやっていましたね。ただ一方で、それと平行して現在のスタイルにつながるようなワークショップ型の授業にも取り組んでいました。アクティブ・ラーニングをはっきり意識して授業を作るようになったのは5年ほど前からです。大学教育でのアクティブ・ラーニングの試みを知って、それまでの自分の実践と近いなと感じて、意識的に取り入れるようになりました。

−−−演劇の要素を取り入れるようになった経緯を教えてください。

佐々木先生:かつて国語教育では、いわゆる「作家主義」というのが根強くて、文学作品に込められている「作者の真意」が特権化されているきらいがありました。現在も作品に「正しい解釈」があることを前提として、教師用の指導書は組まれていて、その下に教師がいて、生徒が最後にいる。かねてより、こうした知識伝達のピラミットに疑問を抱いていました。作者だって、自分が書いた作品の「正しい解釈」をはっきり言うことなんてできないのかもしれないし、そもそも文学作品は多様な解釈に開かれているものなのではないかと。だとすれば、作品の前では教師も生徒も一読者として対等だということを前提にして、授業を組み換えられないかというのが出発点になっています。教職に就く以前に映画の助監督をしていた経験と教員になってから演劇部の顧問を続けてきた経験はありましたが、演劇の要素を授業に取り入れるようになったのはここ4年のことで、古典の授業に関しては今年度(2015年度)になって初めて導入しました。

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−−− 演劇とアクティブ・ラーニングの関係についてはどのように捉えられているのですか。

佐々木先生:演劇について言えば、同じ作品でも演じ方は多様であるし、必ずしも分かりやすい表現だけがいいわけでもない。いわゆる勉強やスポーツができたり発言力がある生徒を上位とする教室内の生徒同士の力関係や、論理的で明瞭な表現ができる生徒だけが重宝されるような授業のあり方やその価値観を崩していきたいと思ったときに、演劇の手法を取り入れることが有効なのではと考えました。言葉だけで表現しようとすると曖昧になったり、矛盾してしまうために削ぎ落とされてしまう部分も、演じるという仕方であれば表現に含ませることができる。表現の幅が広がることで、積極的に「発言」することが苦手な生徒や、必ずしも「活動的」だと見られてこなかった生徒がそれぞれのスタイルで作品と関われるようになればという思いがあります。ですので、アクティブ・ラーニングとの関わりで言えば、生徒が「活発に発言している」というような表層的な変化にとらわれすぎてはいけないなと考えています。「アクティブ」であるということを、彼らが新しい解釈を生み出す主体になれているかという意味で捉えられないかと。教師と生徒が作品の前では平等であることを前提として、新しい解釈、新しい表現を生み出すことをねらいとする点で、アクティブ・ラーニングへの取り組みと演劇の導入が交差したという感じでしょうか。

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−−− 成績にはどのような変化がありましたか。

佐々木先生:成績に関しては、ゆるやかに上がっていっているというところです。生徒からの反応としては、「いままで退屈に感じていた古典が初めて面白いと思った」という感想が出てきたのは嬉しいことですね。昨年、私の授業に対する生徒の評価を調査していただく機会があって、その結果をみてみると「学習内容について分かるようになった」という項目の数値が予想以上に高かったので、現在のやり方は一定程度有効なのだなと感じています。

−−− 成績評価についてはどうされていますか。

佐々木先生:古典のテストは共通問題なので、品詞分解なども求めるオーソドックスなものです。現代文の小説分野については、予め伝えておいた複数の問題から生徒が書きたい問題を選択して論述する形式で行っています。その際には、一つに定まった正解は示しません。答案の考察が小説の根拠箇所と説得力を持って関連づけられているかを基本に評価基準をあらかじめ伝えるだけで、一つの正解に収斂させないようにしています。そうすると、いわゆる偏差値的な学力のレベルにかかわらず、今まで研究者すら言及していなかったような解釈や着眼点みたいなものが大なり小なり出てくるんですね。それは誤読といわれたら誤読なのかもしれないけれど、生徒たちも「おー、なるほどー」と感心することがあって、そんなところに面白さを感じますね。

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−−− 佐々木先生の今後の挑戦について聞かせてください。

佐々木先生:演劇の手法を取り入れる中で、生徒の学習活動において偶然性が積極的な意味を持つことに気づきました。アクティビティから生まれる偶然性が、生徒のクリエイティブなまたはクリティカルな発見や疑問に結びつくのではないかと感じています。協同的な授業の一つの可能性を「偶然性」という点から何らかの具体的な形にしたいですね。その点でどんなリフレクションの形が効果的なのか大きな関心があります。またアクティブ・ラーニングの文脈において、論理的思考を伴った言語活動の重要性が唱えられていることには、私も賛同したいのですが、他方で人と人とのコミュニケーションに関しては、論理に還元されない、いわばエモーショナルな部分も含めて考えた方が有効だろうと感じています。そういう意味で、論理に回収しきれないものとして身体的なコミュニケーションも含む演劇の可能性に魅力を感じています。

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演劇と教育を重ねて考えることで、今後の課題も見えてきました。それは、アクターのポジションを教師から生徒に転換するだけでは、従来の教師—生徒関係を表面的に逆転させるだけで、根本的な関係性の組み換えにはならないんじゃないかということです。思い起こしてみれば、近代以前は地域のお祭りなどでも住人が役者であり観客でありと、舞台と客席の関係ももっと相互的な関係にあったのではなかったかと。教育に引きつけて言うならば、教師が、授業のデザイナーとして一定メタなポジションに位置しつつも、生徒と同じアクターのポジションとの間を行き来するような者として授業に関われないかと考えています。授業を通じて、生徒が教師のパラダイムを超えていけばいいですね。そういった問題関心から、今後は、観客参加型の演劇や、各地の学校や地域でアーティストと子どもや市民が一緒に創作を行う演劇ワークショップの試みに学びのヒントを探りたいと思っています。

多摩地域の南部に位置する都立日野台高等学校は文武両道の精神を重んじる活気に満ちた校風が特徴。国語科を担当する佐々木宏先生は、演劇の手法を授業に取り入れることで、これまでとは異なる読解の可能性に挑戦している。

 

  • 取材

    田中 智輝

  • 撮影

    松尾 駿

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